知識が豊富な人の話を聞いていると、
「すごいな」「よく知っているな」と感心することがあります。
知らなかったことを教えてもらったり、
新しい考え方に気づかせてもらったり。
知識のある人から学べることは、たくさんあります。
けれど先日、そんな人の話を聞きながら、ふと思ったことがありました。
知識があることと、その人を尊敬できることは、同じではないのかもしれない。
では、その違いはどこにあるのでしょう。
考えてみると、私たちは話の「内容」だけを聞いているわけではないように思います。
同じことを話していても、
「こんなことを知っている自分はすごいでしょう」と聞こえる話し方もあれば、
「これはとても興味深いことだから、あなたにも伝えたい」と感じる話し方もあります。
持っている知識は同じでも、受け取る側の印象はずいぶん違います。
なぜなのでしょう。
そこには、その知識を何のために語っているのかが、
知らず知らずのうちに表れてしまうからではないでしょうか。
自分を大きく見せるためなのか。
相手の役に立つためなのか。
一緒に考えたいと思っているのか。
言葉の端々や話し方から、そんなものを私たちは感じ取っているのかもしれません。
そして、もう一つ思ったことがあります。
私たちが持っている知識の多くは、すべて自分一人で見つけたものではありません。
誰かに教えてもらったこと。
本から学んだこと。
先人たちが長い時間をかけて積み重ねてきたこと。
そう考えると、知識とは「自分のすごさを示すもの」というより、
誰かから受け取り、また誰かへ渡していくものなのかもしれません。
知識が多いことは、素晴らしいことです。
でも、その知識をどう語るか。
どう人に渡すか。
そこには、その人の考え方や、人との向き合い方が自然と表れます。
何を知っているかには知性が表れ、
その知識をどう語るかには人柄が表れる。
人は、話の内容を聞きながら、
実はその人の「人となり」まで感じ取っているのかもしれません。
だからこそ、私も気をつけたいと思います。
知っていることを誇る人ではなく、
知っていることを、誰かのためにそっと差し出せる人でありたい。
たくさんの知識を持つこと以上に、
その知識をどんな心で人に渡すのか。
私は、そんな「人柄」を大切にしていきたいと思います。
今日も、温かい眼差しで…。


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