親の命日を覚えていない私は、薄情なんだろうか

日常・気づき

親の命日を覚えていない私は、薄情なんだろうか。

そんなことを、ふと思った。

別に親が嫌いだったわけではない。
むしろ、亡くなった後から気づいたことや感謝することの方が多い。

「あの時、守ってくれていたんだな」
「心配してくれていたんだな」
そんなふうに、時間が経ってから見えてくるものがあった。

それなのに、
命日を聞かれても、すぐに答えられない。

最初は、
そんな自分が少し冷たいようにも感じた。

でも、ある時思った。

人によって、
“日付”で記憶する人と、
“感覚”で記憶する人がいるのかもしれない。

何月何日だったかよりも、

あの日の空気や、
その時の気持ち、
今もふと思い出す瞬間の方が、
心に残っている人もいる。

強い後悔があると、
命日を自分を責める日のように抱え続けることもある。

でも、
悲しみが少しずつ人生に溶け込んでいくと、
「日付」ではなく、
“存在そのもの”として残っていくのかもしれない。

だから私は、
命日を覚えていない自分を、
責めなくてもいいのかなと思った。

今こうして、
思い出したり、
感謝したり、
「ありがとう」と感じられるなら…。

それだけでも、
十分、心の中で繋がっているのかもしれない。

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