最近、自分の中で、大きな気づきがありました。
私は今まで、言葉の奥にある「意図」を、あまり読み取れていなかったのかもしれません。
ある相談サイトで、こんな言葉を目にしました。
「特別な経験を積んだ相談員が対応します。」
「ごく限られた人しか、この相談にはたどり着けません。」
そんな言葉を見ると、
「それなら信頼できるのかもしれない。」
「ここに出会えた私は運が良かったのかもしれない。」
そう思ってしまいました。
無料相談をお願いすると、帰ってきた内容は数秘術やタロットで相談した時の解答ような話とよく似ています。
そして、「その先を知りたい」と思ったところで、有料の案内が始まります。
もちろん、有料で相談を受けること自体が悪いとは思っていません。
それは一つの仕事であり、その方は、とても巧みに言葉を選び、人の気持ちに寄り添いながら話を進めていました。
私には、そのような話し方はできません。
だからこそ、今回の出来事は「営業とは何か」ではなく、「言葉とは何か」を考えるきっかけになりました。
言葉とは、ただ文字を並べたものなのでしょうか。
本来は、その人の心や想いを乗せて届けられるものではないでしょうか。
そう考えると、言葉の奥には、目には見えない感情や目的が隠れていることがあります。
優しい言葉は、うれしい。
でも、その奥に別の目的が込められていることもあります。
反対に、厳しい言葉は耳が痛い。
でも、その奥には、深い愛情が込められていることもあります。
私は、言葉の表面だけを受け止める癖があったのだと思います。
昔の古典文学を読むと、言葉はとても遠回しです。
その一つひとつの表現に、言葉では言い尽くせない感情が込められています。
読む人も、その奥にある心を感じ取ろうとしていました。
今回の出来事は、自分の浅さを教えてくれました。
でも、それと同時に、もう一つ思い出したことがあります。
昔、知人に言われた言葉です。
「あなたは直球だね。」
確かに私は、相手の腹を探るようなカーブを投げるのは苦手です。
思ったことを、そのまま言葉にしてしまうことが多い。
でも、そんな自分を私は好きです。
これからも、人をごまかさず、自分もごまかさずに歩いていきたい。
そのうえで、言葉をそのまま受け取るだけではなく、その奥にある想いや意図にも、少しずつ目を向けられる人になれたらと思います。
それもまた、「温かい眼差し」の一つなのかもしれません。
今日も、温かい眼差しで。
― ウォームアイ(warm-eye) そらみ


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